■ エッセイ:退職、帰国そして・・・介護

※ このエッセイは、ちょこざいな!へも掲載していたものです。。


■ 介 護(2009.09.05)

96年から続けていた中国での常駐駐在員生活を9/1で辞め日本に帰ってきました。
93年に初めて中国に行き約15年の海外生活にピリオドを打ち帰ってきました。

会社は個人企業になってしまい、中国から帰る、退社と言う事になりました。

今まで、家庭を半分捨ててまで海外で会社の為に尽くしてきたのにと、、
悔しい思いもありますが、所詮個人企業に勤めていた己の責任とあきらめました。

会社の経営者には、若さのための未熟さを感じていますので、この先どの様になろうと、
経営者として受け止めていただきたいと思います。

会社を辞めることになった原因の父は、認知症もあり、「要介護2」の診断が降りました。
昨日介護用ベッドも搬入され、来週からはホームヘルパーさんが来られることになっています。

母は既に介護施設に入所していますので、手は掛かりませんが、
父は、認知症の被害妄想がひどく手を焼きます。

何の為に此処まで、息子が苦労をしなければいけないのかと、、思いますが、
仕方が無いと自分に言い聞かせています。

これから当分父の介護に当たる生活が続きます。


中国の駐在員の仕事を辞め、それと同時に日本国内の会社も退職して帰国し、、

痴呆の父の介護というか、介護前の段取りというか、、一人暮らしの父の家に毎日通っています。
先週水や薬が喉を通らなくなり入院させましたが、、
三日ほどで好転し食事ができるようになりました。

もちろんお粥ですが、自力で飲み込めるようになりました。

それは、それで良いのですが、点滴により体力も少し回復してきたら、、
始まりました・・・暴言、ののしり・・・・痴呆からくる症状と理解はしていますが、

聞くに堪えられない言葉も平気でしゃべります。

痴呆も他人を不快にする場合は、周りの者は堪りません。
内弁慶のごとく威張り、ののしられたのでは堪りません。

世の中には、こういう事に耐えている人が多いのかなと考えます。
昔よく聞いた「嫁と姑」の話などが頭に浮かびます。

私の場合は実の父ですが、、「ありがとう」「すまんな」・・とかいう言葉、気持ちはありません。
他人に対しては、憎しみしか持ってないです。

仕事も退職し、面会に行くにしても費用がかかります。
退職したのですから、収入はありません。
そういう事情を理解せず、、
子が親の面倒を見るのは当たり前のように感じ、暴言を吐く父を殴りつけたい時もあります。

しかし、「痴呆」だからしょうがないと諦めています。

昨今は、痴呆だけでは入院は難しいです。というより、、無理に近いです。
体のどこかが異常にならないと入院は難しいです。

父が何故このような痴呆になったかは、おおよその見当がつきます。
戦争です、インパール作戦の生き残り負傷兵の心の傷が原因と思います。

20歳で現役召集となり、それから12年の軍隊生活が性格を変えてしまい、
最後は、肉弾戦の末負傷し傷痍軍人となりました。
刀傷7箇所、鉄砲傷2箇所、計9箇所を負傷し戦後は左手に後遺症を抱えての生活でした。

でも、その鬱憤は外に向けることができない内弁慶で、家族に向いてきました。
機嫌が悪いときは、家族に当り散らし戦争への鬱憤を晴らしていました。

歳が94歳を超え、認知症の痴呆になっても、その傾向は酷くなるばかりです。

今日は、愚痴りでした。



wujingと天邪鬼の正門