■ エッセイ:書かずにおれるか!:中国勤務と父の介護

※ このページの書き物は、この一年の想いです。。

日本国旗 中国国旗

書かずにおれるか!:中国勤務と父の介護


この事については、苦い思いをしています。
どのように書くか迷いましたが、
自分として「ホームページ」「ブログ」を定期的に更新を9年続けている者として、書かずにはおれません。

何故中国へ単身赴任を続けたか?

家族を養うため、生きていく為です。
足掛け16年、14年間の長きに亘り中国で働かなくては、日本では生活する為の「賃金」が貰えないのです。

業種にもよります。
職種にもよります、、海外で英語を喋り華やかに派手やかに仕事をしているハイレベルの方も数多くおられます。

しかし、私の様に縫製業の技術指導で中国で仕事をしている者は、多かれ少なかれ、、
中国から逃げたら日本では生きていけないのです。

転職していった同僚も大勢居ます、
私は中国への駐在員の道を選び縫製の中で生き延びてきました。

誰も援助はしてくれません。
自分の妻や子供達の生活を守る為に他人は何もしてくれません。
自分の親に援助を頼めますか??

そんな余裕のある両親ではありません。
親に心配をかけず、自分の家族を守る為に「海外」へ仕事に行ったのです。
会社は、その仕事の質量によりその対価をくれます。

慈善事業をしてくれるような豪快な会社は有りません、少なくとも・・私が勤めていた会社にはそんな力は有りません。

海外で働く事が、良いとか悪いとかの論議は有りません。
そうせざるを得ない環境の中で、中国にいけない者は脱落していくしかなかったのです。

私の決断を、私の両親は「頑張れ」と言ってくれました。
父は、元関東軍にいました。

父は、中国へ行く前に、中国語の「」を教えてくれました。
「中国人は、野次馬が多い・・・周りに来て邪魔になったら「走」と言えと・・教えてくれたのです。

「謝謝」「再見」位は覚えて要るだろうとは思っていましたが、、「走」は予想外で、
私もビックリしました。

予備知識をと思って買った本にも「走」は書いてなかったのです。
発音は「ツゥォー」と力強く言えば、向こうへ行くと教えてくれました。

実際、93年に初めて中国へ言って、機械の操作説明をしている時関係ない者が周りに見に来ます・・
私は、大きな声で「走(ツゥォー)」と言いました。
野次馬は逃げて行きました。

そんな父でしたが、、晩年は認知症で、私の事を「親をほっといて、中国等へ行きゃがって・・」と悪態をつかれました。
しかし、しょうが有りません。
95歳の高齢で認知症になってしまったのですから、、
でも、実の父から罵られると辛いものです。

認知症と分かっていても、一時帰国のたびに罵られると辛かったです。
救いは母でした。
<母は、「ありゃくるっとる(認知症になっとる)、ほっとけ・・」と言ってくれ、
「中国へ行ったら、食べ物に気を付けて頑張れ」と励ましてくれました。

父も、時には「向こう(中国)へ行ったら気つけぇ」と言う事は有りましたが、、
「親をほっといてから・・」が口癖で、聞くのが辛い思いをしていました。

でも、中国への赴任を辞めれば、すなわち退社退職となる会社環境なのです。
良いとか悪いとか、○か×かでは解決しないのです。

2009年の3月に一時帰国した時、父の顔つきがまるっきり変わっていました。
精神が侵されていると感じました。
もぉ、駄目だ。。時間がない・・・そぉ感じました。

中国の工場は私にとっての第四番目の工場で、工場設計から全て手塩にかけた初めての工場でした。
会社にとっても、合弁が本格的な頼みの工場として立ちあがり3年目でした。
工場設計計画から5年目でした。

会社は定年等抜きで、副総経理として期待してくれていました。

私は、退職を決意しました。

日本の会社は酷いブーイングで、
「お父さんが調子の悪いのは分かるが、他にも家族も居るでしょう。何んとか他の方法はないか・・・」と、、
介護に対する理解や休暇支援の事は、何一つ出ませんでした。

私の感です。
父は状態悪化が急速に進んでいると判断しました。
7月の退職を申し出ました。

私が退職し帰国出来る日までは、妹に頼るしか方法がなかったのですが、
会社は中々理解してくれず、私は、ひと月程の長期休暇を申し出ました。。
そのひと月で、善後策等が判断出来ると思うので、長期休暇を頼みました。

しかし、長期休暇という事を軽く(父の病状)取ったのか、、許可出来ないとの返事でした。

何もせず、中国駐在を続ければ、父は更に悪化すると確信しました。

再度、7月の退職を申し出ました、退職届も提出しました。

会社は、しぶしぶ承知しましたが、退職は10月末にと言ってきました。

私も、工場も7月に一時帰国して正式な退職日を決めるとの返事をせざるを得ない状況でした。

7月に一時帰国して、一気に決断しました。
8月末の退職でした。
会社には理解してもらえず、「身勝手な退職」の様に言われました。

そして、9月1日に帰国しました。

父は、私に「親をほっといて、中国へいきゃがって・・」と罵りましたが、
「もぉ会社は退職した。これからは日本に居る」・・・と言うと、少し顔が穏やかになった感じがしました。

帰国したその日から父の介護の為に、実家に泊まることにしました。
それまでは、妹夫婦が父の介護をしてくれていました。
帰国したその日の夜から、即、実家で泊まる事に戸惑いを感じたのも事実です。

母は、父からの暴力暴言でここ2年ほど追いつめられたのが原因で認知症が進み、
グループホームへ3月に入所していました。
その関係で、父は「苛めの対象」が無くなり急に病状が悪化進行したのです。

母はグループホームへ入所後、徐々に好転してきています。

帰国後二日後に母に会いに行きました。
母は涙を出しながら喜んでくれ、
私が、会社を辞めて帰国したことを告げると・・
「長いこと大変じゃったのぉー、ご苦労さん。」と涙を出しながら喜んでくれました。

父の病状は好転することなく、我がままが酷く、
私の帰国後頼んだホームヘルパーさんにも我がままを言い困らせます。

この頃より、可笑しな雰囲気を感じていました。

妹の言動が針の如く突き刺さるのです。
「長男(私の事)のくせに、父をほっといてからに・・」という言葉を使います。

事実、私が不在時は妹が父の面倒を見ていたのですが、、私には、反論することができませんでした。

会社からは親の看病に対しての理解をしてもらえず、
父本人には、罵られ、
妹には、針の様な言葉を浴びせられ、

何んとも言えない寂しさだけが付きまとっていました。

続きは「その2」へ
自分の気持ちが、落ち着き、一つの決断がついた時にもぉ一度書きます。


それじゃぁ又、再見!