■エッセイ:大相撲に物申す

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一言、言いたい。「大相撲に物申す」(10.6.19)

もぉ、私の年齢は皆さんご承知と思うが、、昔は、事あるごとに「子供相撲」が行われていた。
勝てば賞金なる小銭も貰えるし、会場に来た子供には全員に「うどん」が振舞われていた。

荒神様のお祭り、城山のお祭り、こどもの日、等々・・に行われていた。
仕切る大人が、うまい具合に一回は勝てるように取組を臨機応変に組んで盛り上げてくれていた。

「優勝」という様な取り決めは無かったけど、、強い子は十回位勝ち・・そこそこの小遣いを稼いでいた。
私は余り強くはなかったのですが、、(どちらかと言えば強い部類-_-;)
私の祖父が地元では仕切り役をやっていたので、勝てそうな相手をより多くあてがってもらっていました(^o^)

弱い子はには、、
強い子が疲れて来て根を上げる寸前に当たるようにしてくれて、大金星といって賞金なる小銭をもらっていた。

女の子は接待の手伝いをしながら、、
黄色い声援をかけるのが役目で皆でキャァーキャァーいいながら楽しんでいた事を思い出します。

学校へ言っても、誰かが、、運動場の片隅で「子供相撲」をやっていました。

それから暫くして、、相撲の黄金期「巨人、大鵬、卵焼き」の時代へと突入しました。

私が最初に意識した相撲取りは横綱「鏡里」でした。
鏡里の後に初代「若乃花」が出て来て、「若秩父」と共に大好きでした。
そして初代「朝潮」と好きな力士が大勢いました。

私が最高に力を入れたのが初代「豊山」、学生横綱から角界入りしましたが、その当時大鵬の全盛時でした。
私は豊山の綺麗な風貌が大好きで、大鵬に負けるとケッタクソ悪くて勉強が手に付きませんでした。
豊山は強かったのですが、、横綱にはなれませんでした。

そして、初代「玉ノ島」と・・私の好きな関取は続きますが、
玉ノ島は、、可哀そうに現役横綱で盲腸で亡くなりました。

次に力を入れたのが、、初代「貴乃花」。
この人は中学時代に水泳をやっていて、、その時からファンでした。
角界に入っても、実兄の双子山部屋で頑張り、あの上手投げの形にほれ込んだものです。
この上手投げの形は、後の千代の富士も参考にしたと言います。。
体の小さな力士が、大きな力士を上手投げで破るという相撲の醍醐味を楽しませてくれました。

そして、本命「千代の富士」。
私の好きな力士NO1は「千代の富士」です。
あの「上手投げ」と「左からの引きつけ」、この技で千代の富士に勝る力士はいないでしょう。
左の引きつけで、280kgの「小錦」の前進が止まるのですから、、
どんなに大きくても、右の上手投げを残せる力士はいませんでした。

長くなったけど、、続きは次回。。これから夜勤だから、、へへへ。
還暦過ぎても頑張ってる。
見た目は、中年・・腕相撲をしたら青年・・・こんなwujingです。。

出勤前に・・一言だけ言いたい。。

大相撲よ何をやっとるか!私の様なファンもいる事を忘れたらイカンゼょ。。


翌日、夜勤から帰ってから、、(10.6.20)

実力で、外国人力士に勝てなくなってきているが、、理由が分かった気分ですョ。

賭け事、博打に入れ込んでるから、、本業に身が入らない。

初代若乃花、後の双子山理事長は、

「土俵の下には金が埋まっている稽古をし、それを掴め。。」

・・を口癖にし、自らも土俵の鬼と言われ稽古し横綱になった。

一に稽古

二に稽古

三、四も稽古

五に稽古

今の横綱「白鵬」は、相撲の天才かも知れない。

引きつけの強さと、腰の柔らかさと寄り身の強さ、、そして強力な投げ。
そして、恵まれた体格。
今の力士の中でというより、過去にさかのぼってもこれだけの逸材はいないだろう。

大鵬や千代の富士の記録を塗り替える横綱だろう。

しかし、幾ら体格的に身体能力的に劣っても負けん気だけは「勝ってやろう」という様な日本人力士が見当たらない。

だからと言って、、親方までもが博打に嵌っていたのでは・・・差が開くばかり・・・

「相撲道」に立ち返り、権威ある大相撲の繁栄を望む強烈なファンとして、
出す膿は出し、

大相撲の再起奮起を強烈に希望する!

それじゃぁ又、再見!