■ 思い出の中国 日本国旗 中国国旗 その1:仕事場画像

※ 中国で生活した約14年間の思い出を書いています。

wujingと天邪鬼の正門

思い出の中国表紙

今回は、私がしていた仕事と仕事場をちょっと紹介します、、場所は、上海から西へ約90kmほど離れた所です。
現在は、蘇州圏内に属していますが・・上海市に吸収されることが決まっています。
静かで穏やかな良い所でした、工場へは住んでいたマンションから車で約20分の通勤時間を要していました。。


【 太倉市にある某公司の正面玄関 】
江蘇省太倉市の某公司


総 人 員 : 約 470名
其の他傘下に7工場(約1300名)が有る。

私が技術指導していた歴史をちょっと紹介します。。

■98年8月よりスポット工場として操業依頼を開始する。

■00年5月より本格的に操業依頼を開始する。

■01年4月より、ほぼ専属的な別棟ラインが新築稼動開始。

■02年度は、年間生産依頼枚数が5万着を越す。

■03年度は、ダウンジャケット等も多品種を生産開始。

■04年度は、品質向上を目指し各作業の見直しを実施。

■05年度は、更なる品質向上を目指し品質改善運動を実施。

■06年度は、超難度の複雑デザインにチャレンジ。

■06年10月から盟友セディに引き継ぎ、安徽省へ転勤する。


【現地スタッフ紹介】

↑中国人研修生の一人として来日経験あり、
名前はTonkan(日本呼び)と言い、、やる気十分の女性だった。

★この子と二名で全ての業務を仕切っていましたが、、
2006年10月より安徽省合肥市の新工場立ち上げの為
生産拠点をそちらへ移動する事になり、、

Tonkanには、小6の娘の子がいて安徽省への転勤が難しく、、 退職の道を選択し、故郷青島へ帰りました。
仕事での相棒としては、日本人も含め最高の人物でした。

今、帰国してから思い出すと・・この頃は楽しく、、
中国での生活をエンジョイしていました。


【 太倉市にある某公司の生産現場 】
【 Wujing事務所 】
私が使用していた私だけの事務所
↑★ここを日本との接点とし管理をしていました。

【 裁 断 風景 】
裁断場でのハサミ裁ち作業
↑★細かいロットにも対応し、鋏裁断も行います。

【 縫 製 ライン 】
縫製現場、背中が映っている人が私の片腕でした。
↑★生産性も優れています。(この人班長です)


◎細い針を使い。

◎細い糸を使い。

◎細かい神経を使い。

◎細かい作業をしています。

★そして、より良い製品が出来上がる様に指導していました。
※安心して「着ていただける」服を作っていました。

参考までに、
「工数10,000〜12,000秒(縫い場)/一着」前後の高級服を生産していました。
そのため、縫い場は12時間勤務体制となっていました。