■ 思い出の中国 日本国旗 中国国旗 その五:夜の不思議

※ 中国で生活した約14年間の思い出を書いています。


■思い出の中国:その五(2010.7.3)

「なぞの解明」と「夜の不思議」

「前回のなぞの解明」

ーーー「その二」で書いた通訳の典子でさえ、、私に教えてくれてなかった事があります。
それは、93年に一時帰国する際、二人の工人(もちろん女性)が簡単な手紙をくれたのですが、、
内容を訳してくれるように頼んだ処、、暫く読んでいましたが、、突然・・
「これは文章が下手くそで、私も意味がわかりません」そぉ言って返されました。ーーー

その答えは・・・私も、「雪」が入って来た頃には薄々・・そぉではないか?と思っていたのですが、、
それは、「半分恋文的な内容でお礼が書かれていました。」
私が、工場立ち上げ時に受け持った作業指導の感謝を書いたものですが、
その書き方が、恋人に書くような文面になっていたのです。

93年の工場立ち上げ時の初代の通訳「典子」は、
通訳力は抜群で専門用語で書かれた機材の説明書も解読し工人に使い方を指導出来る程でした。
しかし歳は若く19歳で、少しオシャマさんで・・手紙の内容に疑念を抱いたのかもしれません。

一方、、「雪」の方は95年に同じ19歳でしたが純粋純朴で、書いてあるままに訳したのです。
何故なら、手紙を書いた本人達も在籍し彼女達とも顔見知りですから、、手紙の内容の恋文部分は純粋に訳したのです。

それは、、ユーモアも交えて、
「もし貴方(私の事)が、若くて中国に住む男性なら、、私(工人)は貴方の事を好きになるでしょう。
・・・その位、貴方(私の事)は、私(工人)に親切に教えてくれて有難う。。」

と書いてくれていたのです。

95年には既に、上海人の間では男女間は情熱的な言葉で語られていましたが、
私が手紙をもらった93年当時は、、未だ「恥ずかしく」感じる人もいたのでしょう。。

手紙の内容を「雪」の手助けで解明し、、

93年に貰った手紙のお礼を95年にし、手紙をくれた二人には次の入国時にお土産を買ってきました。

すると、、今度は、その二人が別々に私に見せたいものがあると言ってきました。
他の人には見せられないから、時間の空いた時に会社の会議室で見せると言います。

「ここで見せろ」と言うのですが、相手は承知しません。
二人きりが嫌なら、、「雪」だけは同席しても良いといいます。
そこまで言います。
「よし、分かった。会議室に○○時に来い」と言って、見せてもらう事にしました。

持ってきたものは「写真」でした。
それも、恋人間で交換する様なセミヌードの写真です。
中国人は写真が大好きで、色々な写真を撮ります。中には、スタジオに行って本格的な衣装を着て撮る写真も多いです。
それは、、本格衣装のセミヌードに近い写真をたくさん持ってきました。

そして、こぉ言います。
「93年のメモ書きの様な手紙に対し、お礼を言って土産までくれて、、私はお返しが見つかりません」
「だから、私の大切な写真を見せるから、、どれでもいいので3枚あげるから貰ってくれ」・・・・と言います。

日本人だったら、持っていても他人にはあげないでしょう、、絶対に!・・・・まして、、異性には・・
そんな写真を貰いました。

「雪」が言いました。 「上海人は、自分の好きな人にだけ、、自分の好きな大切な写真を相手にあげます。」
「wujingはあの人に好かれたのです。」
「あの人は、wujingの事なら、、なんでも聞いてくれます。」

事実、その二人は、上海工場に勤務する間・・強力な味方になって私を助けてくれました。

そして、後日・・・「雪」からも写真を貰いました。。

そして、もう一つ「夜の不思議」について(10.7.5)

93年に初めて上海に行き、物珍しさも手伝って、、
仕事が終わってから日本人を中心にして中国人スタッフも一緒にワゴン車二台に分乗し、、
夜の上海にも幾度となく遊びに出ました。。

しかし、そこで不思議に感じたのが・・・極々普通の服を着た、、と言うより普段着そのままの中国人がやたら多いのです。
日曜日に街へ遊びに出ても、度肝を抜かれる人の多さですが、、
昼間は、何がしかは服装に気を付けているのかなと言う雰囲気は感じられます。

上海には外省人が多く(生活が貧しく上海に出稼ぎに来ている人達です。)彼らの服装はお粗末なものです。
しかし、夜に見かける普段着の人々の中には上海人もかなり大勢いる感じです。
何故か、、夜、普段着そのままで大勢の人が公園にたむろしています。
それも、中年以降の夫婦連れが大勢います。

夏の夕涼みにしては早すぎる季節ですが、大勢が公園等にいました。

この謎は96年まで解けませんでした。。

■93年には既に、上海は建築ラッシュが始まり都市計画が大々的にスタートしていました。
しかし、庶民の住宅事情は悪く狭い部屋しか持っていない人もたくさんいました。

お金があるからと言って、自由に買える住宅は未だ限られていました。
上海市の都市部は1軒家は所有できず、古くから一軒家に住んでいた人達へは立ち退き命令が出ていました。
所有できるのは、マンション形式の住宅だけですが、
96年頃頃までは未完成が多く、分譲されている建物は限られていました。

まして、お金のない人は立ち退き命令が出るまでは狭い部屋に住み続けなければなりません。
((立ち退き命令が出れば、指定された新築マンションヘの移転費用も市政府がほぼ全額を負担してくれます。
既に住んでいる地区により、引っ越す場所が指定されますが、、市政府の命令に従えば新築マンションへ入れます。
部屋数も概ね3LDK〜2LDKに入れます・・・・但しこれは上海人だけです。
外省人の住宅の世話など、、上海市政府はまったくしてくれません、眼中に有りません。。))

そして、そしてです、、、

古い形式の住宅に住んでいる人が大勢いる市の中心部の人は、狭い部屋に大勢の家族が同居している事も珍しくなく、、
住宅事情の改善が急ピッチで進んでいましたが、世界一の人口を誇る上海(2006年頃までは世界一の人口だったと思います)
夜は、雑魚寝せざるを得ない家庭も数多く存在していました。

そんな住宅事情でも、お金がない、所得が少ない・・だから二世代、三世代と、、狭い部屋に同居しています。

古い形式の住宅は、トイレとお風呂は共同で、なお且つ、、調理も共同で、「火」だけは各自プロパンガスで個人持ちでした。
もちろん、洗濯場も共同で、手もみ洗いです。洗濯は置く場所がなく使えない環境でした。
そして、各家庭の部屋数は、二間が一般的で一間もかなりありました。

大きさは、日本の八畳間位の仕切りがない部屋が二間あると思えば間違いないです。
でも、先に書いたように、、トイレ、お風呂、調理場、洗濯場はすべて共同なので、正味二間しかありません。
(一間の家庭も数多く存在しました。)
その中に、所帯道具やベッドを置くのです。
中国は、すべてベッド生活です。畳はありません。

此処まで書くと、もぉ想像つくでしょうが、、
夜の食事がすむと、息子夫婦や娘夫婦の為に、、親夫婦がそれとはなしに夜の散歩に出かけるのです。
それも三時間ぐらい・・

その現象が夕方から、、上海中で起こるのです。
上海の老夫婦がこぞって散歩に出てきますが、、実際には散歩はしません・・・

どこか適当な場所を探して時間つぶしをするのです。。

「世界の魔都上海」と呼ばれる大都市・・上海人は街に対しても誇りを持っています。

しかし、、

部屋が狭くて、、
子供夫婦の為に、夜の散歩に出かける。
上海人の面子がない・・
だから・・なかなか教えてくれなかったのです・・・・・その理由を!

こんな深い理由を、、「雪」を介して知って行きました。。

続きは次回に、、再見!