■ 思い出の中国 日本国旗 中国国旗 その四:出会い

※ 中国で生活した約14年間の思い出を書いています。


■思い出の中国:その四(2010.6.27)

出会い

少し話が前後しますが、95年に実業高校の四年生が実習体験という名目で入ってきました。
実習体験時の成績が良い者は幹部候補生として採用するという制度です。

その中で「雪」という女の子が入ってきました。
その当時の瀬戸朝香に、少し似ていました。
たまたま、直し作業があり、、その子に手伝ってもらいながら三日間ほど一緒に、その直し作業を片付けました。

その「雪(中国語ではシュェ)」と言う子は、まったく日本語が喋れませんでしたが、
機転が気く子で日本語の漢字で書けば、ほぼ意味を察知し、他の作業者に依頼や指示を出します。
念のため、日本語の喋れる通訳に確認させましたが「意味」の解釈は間違っていませんでした。

工場に通訳は一名しかいませんし、その当時既に「典子」は退職し、、通訳は他の者になっていました。
それ故、言葉の問題で困っていました。
私は通訳なしで、身振り手振りだけではなかなか意思疎通が出来ず、困っていました。
何んともならない時は、一名の通訳に助けてもらうというやり方でした。

しかし、雪という子(以下「雪」と書きます)は、日本語の漢字で書けば意味を察知してくれます。
それからというもの、もっぱらその雪を通訳に使っていました。
その雪本人も、日本語を一生懸命勉強していたらしく、私が通訳代わりに頼みだしてから、
・・日本語も喋りだしました。

雪ちゃんは日本の事に興味を持ち、いろんな事を本を通じて勉強していたみたいです。
そして、性格が素直で正直です。
この子に出会ってから、、この子から色々な事を教えてもらうことになります。

賃金が安くて、どうやって生活しているのか、解けない疑問点が雪ちゃんから真実を教えてもらいました。
他の中国人が口を濁す事等も、素直に教えてくれました。

そして、雪ちゃんと同じ歳で「愛莉」という女の子が入ってきました。
その子も、日本語の漢字でこちらの意味を理解してくれる様になり飛躍的に意思疎通が容易になりました。

中国語も「雪」「愛莉」に教えてもらい少しづつ話せるようになってきました。
二人とも美人で、他の日本人が私の事を見て悔しがっていました。。

でも、この二人から、、中国の真の姿を教えてもらいました。

この二人に出会わなければ、私の中国感もかなり違っていたでしょう。

中国は東洋にあって、生活習慣は西洋に近い。
以前は男尊女卑が酷かったが、今は男女平等思想が浸透してきた・・とか色んな事を確信をついて教えてくれました。

話が前後しましたが「中国の思い出」については、
この二人が居なかったら、真相が分からなかった事が多いと思います。
その為、先に書かせてもらいました。


■続き(2010.6.28)

そして、、私が長期に中国に滞在するキッカケになった事を、ついでに書きます。

上海の工場の中国側のNO2で「総経理(日本では社長に当たります。)」が、
1996年の初頭に長期駐在ならばwujing(私)が良いと、日本側へ言ったそうです。
その理由は、三か月ほど経過して総経理から直にに聞きました。

日本人の癖として、「他人の失敗を直ぐには叱らず、、少し間をおいて次のチャンスに叱るのを回す事があるが、、、」
そのチャンスがもう一度来た時に、「前回の失敗も含めて叱る様な場合がある、、、」
こういう叱り方は、「中国人では相当レベルが高い人か、、高学歴の人にしか通用しません」
工場で働く「工人(ゴンレンと言うが作業者の事)」には通用しません。

wujingは、「工人の失敗には厳しく叱るが、、過ぎた事については叱らない。現時点での失敗しか叱る対象にしない。」
「だから、あなたに幾ら叱られても私(総経理)の処へ苦情が来ない。」

他の日本人は、叱る時に此れまでの事や、前回の事までを一緒に叱る。
中国人は、「前回悪かったら、、何故その時に言ってくれない」・・・・と反感を持ってしまう場合がある。

wujingの叱り方は中国向きだから、、「貴方になら幾ら大声で怒鳴られても聞きますヨ。」そぉ教えてくれました。

そんな出来事もあり、私の長期にわたる中国駐在員の仕事が始まったのですが、、
他の工場に行った時や、蘇州、太倉に移った時にもそこの総経理から同じ事を聞きました。

それからは、私自信も意識して叱り方には留意していました。
済んでしまった事を時間が経過した後に再度穿繰り返し叱らない。

そぉ言う私の雰囲気も加担して、他の日本人が知り得ない事まで教えてくれる様になって行きました。

「その二」で書いた通訳の典子でさえ、、私に教えてくれてなかった事があります。
それは、93年に一時帰国する際、二人の工人(もちろん女性)が簡単な手紙をくれたのですが、、
内容を訳してくれるように頼んだ処、、暫く読んでいましたが、、突然・・
「これは文章が下手くそで、私も意味がわかりません」そぉ言って返されました。

でも、私もさる者、、その手紙を捨てずに、何時か自分で意味を訳そうと大切にしまっていたのです。

95年になって、「雪」ちゃんの手助けで、解明したのです。。

続きは次回に、、再見!