■ 思い出の中国 日本国旗 中国国旗 その七:すさまじい光景

※ 中国で生活した約14年間の思い出を書いています。


■思い出の中国:その七(2010.7.16)

すさまじい光景に度肝を抜かれました。。

・・・続き

でも、、もっと驚きます・・・それは、その日の帰り道です。
日本人が乗合で帰るのですが、、一昨日来たばかりの私達四人はその時・・・瞬間何事かと・・
そして感動し、、ものが言えませんでした。
中国の真の姿を目にします、その光景は・・・・・

・・・・それは、豚小屋の村があったのです。
帰り道は道が混むからと迂回し、豚小屋の村の中を走ったのです。

それは、かなり広い面積です。 多分、縦、横共に2kmは超えていると思われる豚小屋の村の中央を細い道が通っています。 もちろん舗装等はありません。 車が通らなければ、豚小屋の一部の様な道です。 それがです、、その豚を管理している家族と思う一族が、、豚と同じ小屋の中で食事をしているのです。 子供は、豚と遊びながら、、大人は夕食を食べています。

子供が遊んでいるのは子豚ばかりです。多分、子豚の小屋で家族も暮らしている見たいなのです。

(実際にそうでした。
子豚が乳離れしたら当分の間親豚とは離し育てるそうですが、、その小屋が人間もすむ小屋になっているのです。。)

(97年に上海都市計画で強制撤去されましたが、それまでは工場の割と近い場所に豚小屋の村がありました。
現在は、呉中路の中心として高層ビル群が立ち並んでいます。)

そして、豚小屋の村の周りには昔ながらの農村地帯が続いています。
と・・・・思ったら、急に高層ビルが姿を現し、50m幅の舗装道路が現れるのです。
その舗装道路にたどり着けば、、ホテルまで5〜6分という感じです。

でも、豚小屋の中に粗末な家具と人間の寝る粗末なベツドが置いてあり、
食卓用の粗末な机の周りで食事をしている光景は強烈すぎる印象でした。

ある日のことですが、
大雨が2日程降り続き豚小屋の村を通る道がズヨズヨにぬかるんで、、動けなくなっている車もありました。

我らが運転手は、心得たもの、、うまい具合にヒョイヒョイと、止まって動けなくなっている車をよけて通ります。
子豚と人間が住む小屋にさしかかりました、小屋の周りは 「湖 状 態」です。
・・・・しかし・・いました。子どもと、子豚が遊んでいました。
横で、父親らしき男性が料理をしていました。

立ち退きになるまで、その豚小屋は上海の異国の様に感じていましたが、、

或る日、生粋の上海人の領班が言いました。「ちょっと前までは、あれが普通でした。」

上海は、「 魔 都 」と呼ばれていました。
昔の時代の映 画を見に行くと、上海には子供を売る市場があったそうです。
貧しい家庭が、子供の買い手を求めて売りに来る場所です。

その子供市場に、
子供自らが貧しさに耐えかねて買い手を求めて市場に立つのです。
その子供は、水上生活者で芸人の老人に買われます。
そして、、芸を見に付けて行きます。

早変わりの仮面の術も学んでいく過程の中で、
買主の老人と硬いきずなで結ばれ、本当の「おじいさんと孫娘」の関係になっていく物語ですが、、

上海には、色々な顔があります。
世界で一番混血が進んだ人種は、「上海人」だと言います。
古くは、イギリスを筆頭に欧州列強、そして日本と次々に侵略されていきますが、、
国内的にも、内戦で幾多の侵略にあいながら姿を変えて行きました。

今は、市政府の方針で、、豚小屋は上海市の郊外の奥まった場所に移転し、
普通の外国人には見られない場所にあります。

ただ、仕事場で寝起きする風習は今でもたくさん残っていて、他の業種では未だ見られます。
木材会社では、木材の上に布団を敷いて寝ています。
なぜかというと、泥棒よけです。

子豚は小さいから盗みやすいのです。
ですから、ある程度大きくなるまでは、人間が一緒に寝て盗まれるのを防ぐのだそうです。

じゃ今回はこの辺で、、

続きは次回に、、再見!