■ 思い出の中国 日本国旗 中国国旗 その十二:トイレ

※ 中国で生活した約14年間の思い出を書いています。

■思い出の中国:その十二(2011.11.16)

トイレ

私は父の介護の為2009年9月に、中国での海外駐在員の仕事を辞め、会社も退職となり日本へ帰国しましたが、、
その当時も会社のトイレ事情は、中国特有の形式で日本人には馴染みにくい様式のものでした。

日本人が中国へ行った時に驚く事の一つに必ず挙げられると言っても過言ではありません。

三つ星以上のホテルでは泊り客が驚く様な事は無くなっていましたが、、
一般社会では、まだまだ古い様式が数多く残っていました。

※ ビックリするなかれ、1993年に初めて行った頃は「混 便」も残っていました。

※ それも、相当大きな有名な飯店(食事をする料理店)でそうでした。
トイレの中は、仕切りや扉は無く、男子と女子が一緒に用を足すのです。
日本では考えられない光景でした。
男子の小便のすぐ隣で、女子も小便をするのです。当然丸見えです・・・・

※ 1996年日本が援助して作った上海の大きな遊園地、宙返りをする巨大なジェットコースターがある人気の公園ですが、、
開園して日曜日に遊びに行きました、公園内は若者であふれていました。
が・・・・・・トイレは混便でした。

※ 約300平方mのトイレ内は、男女入り乱れて用を足します。
男子小便は18Lのカンカンが数多く置いてあります。
女子小便は、30cm程の円錐形におが屑が盛って有ります。
どちらも囲いは有りません。
大便は、3mほどの長さに20cm幅の溝が掘って有り、そこへ跨ってします。

度肝を抜かれました。。


此れから・・本題です。。

初めて中国へ行った1993年から、、2009年9月まで中国の驚異的な発展を目のあたりにしてきました。
最後の赴任地となった安徽省の工場は2006年9月に安徽省の省都:合肥市に完成しました。

工場も、工場設備も日本に負けない最新式のものですが・・・・・
・・・・トイレだけは、旧式でトイレの扉は腰までの高さしかありません。
男女だけは、別々に区切りましたが、、扉は腰までの低いものです。


横道にそれますが、、
蘇州工場を作った1996年にはトイレの扉を180cmと高い物に設計し日本式にトイレを作りました。
しかし、、、完成後、工人(労働者の事)から苦情が続出し、労働組合からトイレ改善要求が出て、、
扉を腰の高さまでの低い物に作り直しました。

理由が分かりますか??

中国は歴史的に、世界で一番内戦の多かった国です。そして、外敵からの侵略も世界で一番多く受けた国なのです。 有名な「万里の長城」も外敵から国を守る為の城壁と言う話は、皆知っていますネ。。

用を足す時、周りの四面を扉や壁に囲まれた個室に入ってしていたのでは、、、終わって外へ出て見たら、、 敵に囲まれていた・・・・命が有りません。

用を足す時も、周り360度を見渡しながら用をたす・・・この習慣がトイレの扉の高さにもなったのです。
だから、用をたす姿を他人に見られても恥ずかしいという感覚は非常に薄く、
彼らにとってはそれが、「習慣了」(シィ クゥワン ラ)習慣になったのです。。 

「野 糞」など、、平気になったのです。
実際、1993年当時上海市内の空き地で良く見たものです。
さすが、大どうり出はしていませんが、ちょっと影になった路地裏へ入れば、
野糞をしている名残が有ったりして、、踏みそうになったりしたものです。。ウヘェ〜

因みに、公衆便所は有料ですから、倹約?の方はおやりになったりして、、、
でも、野糞対策に市政府も公衆便所の無料化を進め、最近は、有料の公衆便所は減ってきています。


上海人が、不思議がります。。
何故??日本人は、生理現象で無い「入浴」を混浴する習慣があるのか。。

「昆便」は、生理現象だからしょうがないけど、、「混浴」は生理現象ではない。
それなのに、最近まで「混浴」の習慣が残り、、
現在でも温泉地へ行けば、未だ混浴の露天風呂が有ると言うが、、本当か?


習慣の違いは、簡単には馴染みません。。

結局、、工場では、日本人だけのトイレを作ってもらいます。
上海では、、1998年までは工人と一緒のトイレでしたが、、

たまに、工場で「大」をもよおす事も有ります。背に腹は代えられません。。
意をけっして、工人トイレで「大」をします。。

すると、、

wujing(私)が「大」をしていると珍しがって、、見に来て「ニイハオ」と言って笑顔をふりまく工人までいました。
工人に見られながら「大」をしながら、「ニイハオ」が返せたなかったら真の友達「ポンヨウ」にはなれません。。


続きは次回に、、再見!